もぐもぐ。ソラジロウです。
前回はコロンブスがカカオ豆を発見し後世になってその偉業が分かったところまでお話しましたが今回は大航海時代からどうやってヨーロッパにカカオ豆が伝わったのかまでを学習していきたいと思います。
ヨーロッパではカカオ豆を栽培することも生産することもできない環境なのに、どうしてカカオに惚れ込みチョコレートの本場となるまでに至ったのか?
そこまで惚れ込ませることが出来るカカオ豆が最初ヨーロッパではどのように扱われていたのか早速チェックしていきましょう。
高貴な飲み物「ショコラトル」とは?
カカオ豆がいきなりヨーロッパへ上陸したということは無いと思います。
カカオ豆は大航海時代の通貨としても扱われていたわけですから作物としてヨーロッパへ行くことは考えにくいですよね。
ということは誰かがヨーロッパへ無理やり持ち込んだということになるのですが、1521年にその記録が残っているのです。
メキシコのアステカ帝国を征服したスペインのエルナン・コルテスは本国の報告の中にこんな一文を残しております。
アステカ帝国の人々は、カカバクアルイトルという樹(カカオの樹)のみの内部の果肉部をカカバセントリと呼び、その種(カカオ豆)をカカオトル、そしてカカオトルで作った飲み物をショコラトルと言っている
モンテスマ2世の晩餐会ではテーブルに泡立った飲み物のショコラトルを入れた大きな壺が料理を盛り付けた皿の間に50以上運び込まれた
※引用:「チョコレートの科学」
ここで出て来るショコラトルが後のチョコレートの元祖だったそうなのです。
コロンブスの航海から約20年後にやってきたスペイン人によって神聖なカカオ豆がスペイン人に知られることになるんですね。
ショコラトルってどんな飲み物?

出典:お菓子博士が行く!
当時の人々が飲んでいたショコラトルとはどんな飲み物だったのでしょうか?
ショコラトルは甘みがなく唐辛子やトウモロコシなどの粉を混ぜたとてもスパイシーな飲み物だったそうです。
一部の特権階級の人々しか飲むことを許されない大変貴重なもので、強制や媚薬効果があると信じられていたそうです。
作り方はカカオ豆を入れた土器を火にかけカカオ豆をローストし、種皮を除いたあとカカオ豆をメタテという石版でマノと呼ばれる石棒で砕き、柔らかくなるまですり潰します。
ペースト状になったら水と混ぜ唐辛子やトウモロコシなどの粉末を混ぜてモリニーヨという泡立て器で泡が立つまでかき混ぜます。これで完成なのですがあまり美味しそうではありませんね^^;
ショコラトルはスペインが独占
飲むチョコレートの原型「ショコラトル」はスペインがアステカ帝国を征服しメソアメリカ地域を植民地にした結果、スペイン人の食生活に取り入れられて本国へも伝わっていきました。
ただスペイン人には苦くスパイシーな飲み物が我慢できず、スペイン人のオリジナルレシピでショコラトルが飲まれるようになります。
15世紀に欧州に伝わった砂糖のおかげで苦い飲み物に砂糖を大量に入れて飲んだところ、とても美味しい飲み物に早変わり!香辛料の代わりにシナモンを入れたりといろいろな味わいの飲み物に変わっていきました。
やがてカカオ豆をすり潰したものを板状にし熱いお湯と砂糖があればどこでもショコラトルが楽しめるという画期的な商品まで開発。瞬く間にスペイン中に広がりました。
ただカカオ豆も砂糖も当時とても貴重なものだったためスペインでも宮廷の中でよく飲まれていたようで疲労回復や長寿が期待できる薬として重宝されスペイン国外への持ち出しを固く禁じていたためおよそ100年間チョコレートはスペインの独占状態だったようなのです。
今でもその名残はあってスペインの国民的お菓子であるチュロスはどろどろに溶けているチョコレートに浸して食べる習慣があります。チュロス自体は甘くなくチョコレートがとっても甘くなっているのはスペインが長くカカオ豆を独占していた証拠ではないでしょうか?
美味しいものは秘密に出来ず・・・・
スペインで長く門外不出だったショコラトルはだんだん隣国へ情報が漏れていきます。
携帯しやすいように板状にしたりとかすれば持ち出しはそんなに難しくないですよねw 商人や修道士の手によって国境を超えて漏れ伝わってしまい、1606年にはスペイン王室に出入りしていたフィレンツェの商人アントニオ・カルレッティの手によってカカオ栽培から加工技術、飲料製造法まで習得してイタリアへ伝わってしまったのです。
ただ砂糖を入れたとしても当時は健康にとてもいい薬や健康飲料として扱われていたのでショコラトルの紹介も「スペインやポルトガルからもたらされた薬」として紹介されていたようです。
でも美味しい薬で健康的なものなら誰でも飲みたくなりますし飲み続けたいと思うのは当然ですよね。まだまだ一般市民には届かない高級飲料には違いありません。
ヨーロッパとカカオ豆のまとめ
今回は大航海時代からどうやって欧州へ伝わったのか学習していきました。カカオの人気が高くなれば植民地の範囲も広くなったと思いますしカカオをもっとたくさん作るように仕向けていったと思います。
マヤ人がスペイン王室へ献上したものの中にもカカオ豆があったとされておりスペインとメソアメリカの繋がりはとても深いものだったということがわかりましたね。
次回は更にヨーロッパ全土へとカカオ豆が広がっていくのですが、その過程で起きた問題などを掘り下げて行きたいと思います。ここまでお読み頂き誠にありがとうございました。